講座内容に関するQ&A

正反統合ワーク:「純粋な意識」「クリアな状態」「最初の位置」は異なるものですか? ほか9問

もくじ

Q&A

Q正は反と全く正反対の自分ではなくても良いですか?反はネガティブな自分、嫌な気持ちを味わっているけれど、正はネガティブではないけれど、特別ポジティブな気持ちでは無い・・・など。

A
シンプルに反ではない自分を、正とすることができます。

例えば
反=イライラしやすい自分
正=イライラしない自分

これを肯定の形に言い換えると
正→平然としている自分、いつもどおりの自分、おだやかな自分、冷静な自分など

となります。
もちろん、正→イキイキした自分、パワフルな自分などもOKです。

あとは例えば、
「何が私とっての理想だろう?」などと質問して、その時点で思いつくものでよいと思います。
状況に応じて「これが正だ」と思うものも変化していくことでしょう。
今ワークした際の「正」と、翌日の「正」は全く同じにはならないでしょう。

Q「反」から出た時にきれいにクリアになり切れず、「反」の気持ちを引きずってしまっている気がします。

A
まず、「反」から「出る」ことに慣れることはあると思います(さらにコツを掴む)。
もし、ワークをしたテーマで難しければ、簡単なテーマで練習できます。
例えば、
誰か・何かの順番等を待っているシーンで「まだかな…」と思う自分か抜けてみる
または
「普段の普通の自分」から抜ける練習でもOKです。
この場合、「待っている自分」や「普通の自分」から出て、外から眺めることになります。

Q「自分から一歩外に出て眺める」ということが現在できていません。コツをつかむには、何か良い方法は無いでしょうか?

A
まず「映像での処理」から始めるのがいいと思います。
例えば、「何かの順番待ちをしていて、まだかなぁと思った」シーンで練習するとします。
1)「待っている自分」を映像で見る
(想像する。目を瞑っても想像してもOK)
2)その映像が「待っている自分」だと思う
3)それを観察している自分は「待っている自分」ではないことを確認する
4)感情、感覚の違いもチェックする
5)「待っている自分」が居るところまで歩いて行き、「待っている自分」に入る
6)「待っている自分」のまだかなぁと思う感覚(焦りやハラハラなど)を確認する
7)「待っている自分」から抜け出して、「観察している自分」として「待っている自分」の観察を始める。
8)まだかなぁと思う感覚(焦りやハラハラなど)は、無いことを確認する。

あるいは
「ポジティブな状態の自分」から抜けることが、体感しやすいかもしれません。
1)喜んでいる自分(A)を、体も使って再現する(ばんざいしているなど、動作も入れて)
2)その喜んでいる自分(A)から抜けて、喜んでいる自分(A)を眺める(ばんざいしている様子など)
3)喜んでいるのはその自分(A)であり、それを見ている自分は喜んでいない状態を確認する

もし、「映像を見ること」自体がしにくい場合は、できるだけ大きな鏡に自分を写して、目を閉じて心の中で鏡に映った自分をイメージする練習から始めることもできます。

こうしたことが上手くできるかどうかも、日常生活の生き易さにほぼ直結します。

Q「反」の自分に100%なることは、かなりエネルギーが必要でした。再度同じ気持ち、しかもネガティブなエネルギーを感じることはきつかったです。こんなときに工夫できることはありますか?

A
まず、非常にワークをうまく出来ていますので、ご自身を評価なさってください。

あとは「ワーク中の自分と、自己同一化の程度を、どれくらい下げられるか?」もありますね。
これは、正反統合ワークをするたびに脱自己同一化はうまくなるはずです。

もしかしたら、「普段の生活でも、思考や感情との自己同一化の程度がまだ高い」と感じていらっしゃるかもしれませんね。
だとしたらこれからは、普段の自己同一化の程度も下がって、どんどん楽になっていかれるのではないでしょうか?

また「これほど感情が揺れるテーマに出会えていることが、どれほど価値あることだろう?どれほど自分にとってチャンスになっているだろう?」などと質問をされて、ワクワクされても良いのかなと思います。

さらに、
「そんな機会をくれる彼は、私にとって何なのだろう?」
といった問いかけも、気づきやパワーになるでしょう。

Q「反」の自分は、問題状況で感じた気持ちを再体験するという事で良いですか?

A
「反」の自分とは、問題の場面に遭遇した時に、そのような反応をする「自分」です。
例えば、「夫が◯◯する」のを見ると、嫌な気分になる「自分」です。

つまり、「本来の自分」ではありません。
反の自分とは、内なる自分=内なるプログラム=1つ能力、などになります。

その「自分」であれば、「問題状況で感じた気持ち」になるでしょうから、ご質問のような認識で合っていると思います。

もしも、「いつも私は、ちょっとしたことに反応し、嫌な気持ちになってしまう。そんな自分が嫌だ」はいった場合(反の自分をジャッジするような場合)は、別のテーマになる可能性があります。
しかし根本は共通する部分があるでしょうから、「そんな自分が嫌だ」を扱っても、同じような結果になるかもしれませんね。

ワークは、生物(なまもの)で、有機的です。
「これが唯一の正解」というのはないので、臨機応変さも身につけていきたいですね。

Qワークの誘導のなかで、「純粋な意識」「クリアな状態」とありますが、これは「最初の位置」にいる時とは異なるものですか?

A
この質問が湧くことは、ある意味、大正解です。
これは、結構、「これです」という断定的な答えがあります。
とはいえ、意識の状態によって、ワークの進め方で、流動的な面もあります。
ここでお答えしてしまうのは、あまりにもったいないことです。
ぜひご自身で答えを発見していただきたいと思いますが、どうなのでしょう??
きっと楽しい探求になると思います。これから発見した時の感動を味あわれると思うと、羨ましくなります。

(ヒント)
上記の「純粋な意識」等は、熟達者であれば、すべて同じになります。
すべて同じなのか?
少しずつ違うのか?
まったく違うのか?
そもそも何だか分からないのか?

このことと、例えば「普段の生活・人生が生きやすいのか?」「生き辛いのか?」ほぼ完全にリンクします。
正反統合ワークが上手くできるかどうか?これは普段の生き易さ・生き辛さに直結します。

初めてワークする方でも、ワークを進める内に、「純粋な意識」等の純度が高まっていきます。
ワーク最後に、その純度が最大になる、(でも本当は初めからそうでしたよね)という仕組みになっています。
例えばの表現ですが、「私もなにも、全部ハイヤーセルフだった」「映画の登場人物じゃなくて、映画そのものだった」といった気付きになります・・・

Q「最初の位置」にいる自分は誰なのでしょうか?これはスピリチュアルの本で言われている「気づき」のことでしょうか?

A
これも極めて興味深いですよね。
スピリチュアルで言う<気付き>とは、何なのでしょうね?
今、共通言語になっているのでしょうか?
どんな人が、どんな文脈で、どんな意識で言うのか?でさまざまな意味になりそうです。

もちろん、「それが気付きです」「そのとおりです」と表現することは可能だと思います。

それは思われているもの「全くそのまま」かもしれませんし、少なくとも「近いもの」または「ほぼ等しいもの」の可能性があります。

「月をさす指は、月ではない」といった言葉がありますよね、

月を見出したら、誰の指でも、月をさすことはできる・・・

だから「気付き」と表現してもいい。ただその「気づき」とは何なのか?が問題ですね。

Q「最初の位置」から「反」などそれぞれをイメージして、雰囲気・表情などを見ますが、そのとき、目を瞑って頭の中でイメージするというより、目を開けたままイメージするという事で良いでしょうか?

A
目を瞑ってイメージしても大丈夫です。
ただ、できれば目を開けたままイメージできるようになるほうが、何かと便利だとは思います。

Q「反」と「中」を統合するとき、「反」の感情や波動のまま「中」に移動すると思いますが、「中」に入ったときは入った瞬間、「中」の感情になることを意図すれば良いだけでしょうか?つまり、「反」はなくなり「中」に変化(統合?)するのでしょうか?それとも「中」になるのではなくて、「反+中」という、それまで感じていない新しい状態を感じるという事でしょうか?

A
「中」は反でも正でもなく、感情的にはニュートラル・無風状態です。
厳密には、統合する意図を持って「中」に向かって移動始めた瞬間から「中」との統合が始まります。
そしてワーク中の誘導のように意図したり呼吸することで統合が完了していきます。
(物理次元、例えば脳神経レベルではワーク終了後も統合完了へ向けて進行します)
ですのでご自身としては、「統合する意図」を持ちながら中に立って、誘導のとおり深呼吸してながら改めて意図する程度で、普通は十分です。
(それまでのワークの行程を進めていれば、ワークの仕組み上そうなります)
その結果、反のみでもない、中のみでもない、新しい状態にならざるを得ないはずです。

Qぎっくり腰になったけれども、治そうとしなかった(ぎっくり腰になった意味が解っていたので)というようなエピソードを話されている動画を見ました。「治そうとはしなかった」というのは何故ですか?ぎっくり腰になったことについても解っていたというのも、大変興味深いです。ぜひ教えて下さい。また内なる医者のワークは、個人セッションで受けられますか?

A
これはあくまで僕にとっての意味なので、皆さんに参考にしていただけるものではありませんが、「自分に意識を戻しましょう」といったメッセージでした。
有難い!と思いました。そう言えばあれ以来ぎっくり腰が自分の世界から消えていました。以前は時々ぎっくり腰になっていたので「ぎっくり腰にならないように気をつけよう」とか意識していました。今でも、物理次元では日常的に腰筋肉・関節をほぐしたり、鍛えることはしていますが、ただ気持ちよかったりコンディションを良い状態に保とうする意識です。危険回避の意識とはちがうので、久々に思い出して何だか懐かしいがします。
内なる医者のワークは個人セッションで体験可能です。