講座内容に関するQ&A

正反統合ワーク:「眠りじゃない本質の願望実現・魂の望み」について他

  • 正反統合ワークをしたら、「正」の「こうなりたいという願望」も統合され、観照者の中へ吸収されるので、後はそのことについて宇宙に願いを放ったりせずに、宇宙に委ねていればいいでしょうか?
  • 3次元にいるかぎり、「なりたい自分」は反から生まれてきた正になり、2極の分離なのでドラマにはまり、眠ってしまうことになりますか?
  • 3次元にいるかぎり、「理想の自分」を描いても、「反」から生まれてきた「正」になり、2極の分離なのでドラマにはまり、眠ってしまうことになりますか?
    その場合、特定のイメージを持つのではなく、ただ心地よさやリラックスしていればいいでしょうか?
  • 「正」魂の願いを統合して手放すと、消えてしまいそうで少し躊躇しましたが、統合したら本当の魂の望みが感じられるようになるのでしょうか?
  • 観照者の視点とは、4次元にいる意識のことでしょうか?

もくじ

Q&A

Q正反統合ワークをしたら、「正」の「こうなりたいという願望」も統合され、観照者の中へ吸収されるので、後はそのことについて宇宙に願いを放ったりせずに、宇宙に委ねていればいいでしょうか?

A
これはどちらが良いということはないと思います。ただ意識するとしたら
・それを考えているのは何か?(誰か?)
・願いを放つにしても委ねるしても、それを眺める「側」(観照側)で居ること

かなと思います。そうすると自ずと答えはでると思います(おそらく「どちらでも良い」となると思います)(または「願うのであれば純粋に執着なしに願う」or「自然に願うという行為が生じる」などありそうです)
(補足)
正反統合ワークでのプレーヤーは、純粋観照者ではない「人間意識(普段の僕たち)」です。
(純粋観照者にワークは不要)。
人間意識が純粋観照者を体験するためにワークをするため、ワークでは「純粋観照者が統合体を吸収するような操作」が(便器上)入りますが、実態として「正」や「願望」が純粋観照者に吸収されるわけではありません。純粋観照者は「正」も「反」も「願望」も大海の波のように眺めます。念の為補足しておきます。

Q3次元にいるかぎり、「なりたい自分」は反から生まれてきた正になり、2極の分離なのでドラマにはまり、眠ってしまうことになりますか?

A
本当は誰も眠ってはいないのですが、見かけ上、多くの意識が生み出す「正」は(そう思えるだけですが)、懸念されているような方向に作用することは、多いと思います。
「正反統合」または「正反超越」の概念も体感もなく(≒眠りが深い状態)で、「反」から「正」を目指すことは「3次元にいる」「分離のドラマにハマりやすい」と理解して良いと思います。
…本当に、超越すること、統合すること、純粋観照を抜かさないことが、不可欠ですね。
これを完全に抜かしてしまっていた過去の自分に、タイムトラベルして教えに行きたいくらいです。

Qよく、今の感情が次の未来を創るととか、なりたい自分をイメージし、その感情に浸るといいと聞きます。3次元にいるかぎり、「理想の自分」を描いても、「反」から生まれてきた「正」になり、2極の分離なのでドラマにはまり、眠ってしまうことになりますか?その場合、特定のイメージを持つのではなく、ただ心地よさやリラックスしていればいいでしょうか?

A
これも本当はどちらが良いということはないのですが、確かにおっしゃる通りで、「特定のイメージ」は上手く使う「コツ」は必要だったりします。
(正反統合ワークもその「コツ」に気づきやすくしてくれます)
その「コツ」をさえていれば本当に「力」になりますが、「コツ」が抜けていると「障害」にもなりますよね。
この辺は、講座に関係なく一般に大切なことなので、何かの機会で解説動画をシェアしたいですね。。
一方で、「ただ心地よさやリラックス」は「障害」になりにくいとは思います。
そんな「ただ心地よさやリラックス」でさえ、過去の僕にとっては意外とそうでもなかったんですが。
「ただ心地よさやリラックス」も、得ようとしてしまったり、思うように得られないと帰って感情・波動が乱れたり…。
僕はそうとう意識の使い方が下手だったなと思います(笑)

Qワーク中の「正」の私は、浮ついた感覚と、上へ上へエネルギーが上昇する感じがして、心地よくありませんでした。また、そうではない、穏やかな「正」私、というケースもありました。前者はエゴだなとわかりましたが、後者は、魂の願いのように感じました。その魂の願いを統合して手放すと、消えてしまいそうで少し躊躇してしまいましたが、執着になるし、統合してから「本当の魂の望み」が感じられるようになるのでしょうか?

A
これは無理のない範囲で色々と実験していただきたいと思います。
おそらく新たな発見(より大きな「正」、より深いより本当の「正」を発見するなど)があるだろうと思います。
その実験を眺めることで、さらに観照意識にも親和していけますし、一石二鳥以上になります。
統合して手放すと消えるのか?当の魂の望みが、感じられるようになるのか?
そもそも「統合して手放す」とは、私にとって(無意識に)何を意味してきたのか?
いろいろ気づけそうですね。

物理次元の断捨離をしていてよく感じるのですが、「持っているから豊かだ」と思っていのが、「手放したらもっと豊かだ!」になったりします。
断捨離も面白いですよね。

改めて「統合して手放すと消える」というのは、どんなものなのでしょう?
僕の場合、統合とは、
「自分のものとして取り戻す」
「自分の中で遠ざけていたものを、自分のものにする」(おかえり、という感じ)
「生き別れて離れ離れになっていたツインが再会して、一つに統合される」
といった認識でいます。
あと、
広大な宇宙・空間・場すべてが少なくとも自分と関わり繋がっているものであり、
その中で「何か」を「別の座標点」に移動させたり、形態を変えることはできても、「基本、消えることはない」と思っているところもあります。
「消える」という感覚を味わうとしたら、その広大さを思い出すことでその「何か」が相対的に小さくなり、「消えたかのようになる」ことは多々あります。
例えば馬を育てることが大大好きな人が、毎朝早くから世話したり、重労働で、365日ほぼ休みがなくても気にならないような感じです。僕なら「毎朝しんどいな〜」とかなりそうです。

Q観照者の視点とは、4次元にいる意識のことでしょうか?

A
少なくとも10次元以上になるかと思います。