Q&A
Qまとめの動画で、正反中の統合をした自分が、次のワークでは反の位置にきてさらに中と正が統合する…の繰り返しになっています。統合した自分が「反」になるのは、まだ不足の自分がいるからですか?
A
通常、正反統合ワークを1回終えても、まだ統合できる「正」「反」がのこっている場合が普通です(真実からいうと「見かけ」ですが、通常そのように観察されます)。
もちろん、人それぞれです。
一回で「もうワークは不要だ」という境地に至ることもあり得ます。が、ごく稀な例外的な場合でしょう。
質問者さんがそのようになられる可能性はもちろんあります。
純粋観照は常にあるわけですから。そして正反統合ワークはそれに気付きやすい仕組みになっていますよね。一回でもうワークは不要、となっても全く良いと思います。
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Q正反統合ワークを必要としなくなるまでは統合した自分は「反」になるのですね?
A
「統合した自分は「反」になるのですね?」、というご質問ですが、
おそらく
1回目のワークで、「反(A)」を【統合した自分①】が、また日常生活で自分の中に「別の反(B)」を見つけて、
【統合した自分①】が2回目以降のワークを開始して「反の場」に入って「別の反(B)」になり切って、ワーク(2回目以降)を進める・・【統合した自分②】になる。
と理解をしていただいていると思います。
そうであればそのとおりです。
【本当の自分、純粋観照者】は、【統合した自分】も「反(A)」「反(B)」も超越していることを、ワークで確認することができます。
そして、
次の「別の反(B、C、D…)」は、また新たなワークの「ネタ」になってくれます。
「反」を見つけることは、置き去りにされた「パワーの貯蔵庫」、使われていなかった「財産」「資源」を発見するようなものです。
「反」=力、財産、資源
これから「反」を見つけることがますます楽しくなりますね。
ワークを必要としなくなるときには、正or反の判断がなくなり、反もなくなります(初めから反も正もありませんから、いずれそうなるのは自明の理ですよね)
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Q観照者の視座というのは、正反統合ワークをしない限り実感できないものですか?観照者の視座は普段何かを意識することで得られるものではないのでしょうか?
正反統合ワークは、「他の様々ワークの中でも体感しやすい」というだけで、正反統合ワークが必ずしも必要というわけではありません。
実感できる(思い出せる)人にはいつでもできます。純粋観照はいつもあります。空気のように、意図も目的もなく、いつもあります。
「何かを意識することで得られる」ということも、もちろんあると思います。
あらゆる瞑想、ヨガはそこを一つの目指すところ(通過点の一つ)としているように思います。
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Qワンネス体感ワークオンライン講座へ本格的に進もうと思っていますが、正反統合ワークが完全わかっていなくても(観照者の視座)ワンネスに進んでも問題ないでしょうか?
A
ほとんど何のワークの経験もない状態で初めて「ワンネス体感ワーク」をしてワンネスを体感される方もいらっしゃいますし、
「ワンネス体感ワーク」→「正反統合ワーク」→「ワンネス体感ワーク」と進まれる方もいらっしゃいます。
実は僕も
「ワンネス体感ワーク」で浅い体感
↓
「正反統合」で純粋観照
↓
「ワンネス体感ワーク」で深い体感
という順番でした。
参考にしていただければ幸いです。
